アクティブシニアのリタイア後の楽しみ方NO.43 海外での新規事業の立ち上げ

今回は自分が海外での仕事が始まったキッカケや、海外での新規事業の立ち上げ方に関して書こうと思います。一般の人にも分かるように書く積りですが、上手く行くか分かりません。

1.海外で仕事を始めたキッカケ

私が会社勤めを始めてから、11年目の1990年のことです。日本の鉄鋼系商社の人がセメント会社の弊社に来られました。

彼らはもうすでにインドネシアで鉄の事業を始めており、その中でインドネシアが日本同様、地盤が悪いとのことでした。

具体的には、インドネシアで雨期になると道路がぬかるみ車が通れず、収穫した野菜や果物が出荷できなくなり、社会問題になっている。

日本は国土が狭く、地盤の良いところはもう使われており、地盤が悪いところが多く残っておりました。

そのせいもあり、日本の地盤改良の技術は、他の国と比べても進んでいたわけです。

私が会社に入社した1979年当時は、まだ土をセメントで固める技術が始まったばかりでしたが、1990年にはもう広く普及し始めておりました。

話を戻し、商社からは我が社の地盤改良の技術を、インドネシアの国が必要としているので、是非進出して欲しいとのことでした。

我が社は、当初はこの商社の申し出は断っていましたが、何回も来られる中で、一回見に行ったらと言うことになりました。

その時は行きたい人などおらず、誰が行くかで大もめしたことを思い出します。

運悪く私の直属の上司が、結婚し新婚旅行で海外に行ったことが分かり、パスポートを持っていると言うことで選ばれました。

上司は一人じゃいやだと言うことで、海外旅行を趣味にしていた私がパスポートを持っていると言うことで、お鉢が回って来た次第です。

このことが、その後の人生を大きく変えることになりました。

2.インドネシアでの新規事業構築(地盤改良事業)

当初、道路の地盤改良をターゲットに、地盤用の特殊セメント(固化材)を日本から持ち込み、インドネシアの土に試験的に使ってみました。

地盤改良と言っても、一般の人には分からないと思いますので、簡単に説明します。

軟弱な地盤の上に、固化材(土を固めるための特殊なセメント)を所定量まき、重機(バックホーやミキサー等)を使って土に混ぜ込みます。

その後、ローラー等で転圧し、ある程度の時間が経つと強度が出て地盤は固くなります。

表層地盤改良 | 三誠工業株式会社|福井県福井市の地盤補強工事会社

この事業は当初は上手く行きませんでした。理由としては、値段が高すぎたことが問題でした。

 

地盤改良が上手く行きだしたキッカケは、日本の建設会社が使い始めたのがきっかけでした。

1990年代はインドネシアでは日本企業の進出ラッシュが起こり、毎週のように色々な業種の工場のオープニングセレモニーがありました。

日本の商社が始めた工業団地内で、完成した工場でコンクリートの床が盛り上がると言う、深刻な問題が発生したのです。

 

この原因は、日本には存在しない特殊な土があったのです。それは膨張性の粘土で、雨季とと乾季でまったく違う土に変わるので、インドネシアでは生きた土(Tanah Hidup)と言われるものでした。

インドネシアは熱帯の国ですから、雨季と乾季があります。この土は乾季には乾燥しカチカチになり、土を満載したダンプトラックが爆走出来ます。

雨が降ると水を吸収すると、凄い圧力で床などを持ち上げてしまい、体積も10%以上膨れてしまいます。

ただ膨れるだけではなく、強度がまったく無くなりグジャグジャで、人も歩けない状態に変化します。

当時そのことを知らなかった日本の建設会社は、工場の会社からクレームが寄せられ天手古舞でした。

建設会社に取って引渡しが終わった現場から、クレームが来ることは大問題で、もうその現場には人もおらず、尚且つお金の清算も終わってしまっております。

日本の建設会社は、日本からの進出企業の工場ですから、もう引渡しが終わっているから後は知らないとはなりません。

その解決策として登場したのが、私が始めた地盤改良でした。

当然この土は日本には無く、これを固める固化材(特殊セメント)も当然ありませんでしたので、土を採取し効く固化材の開発に取り組み、早々に開発に至りました。

工場の土間下や道路の基礎等に使って貰うように売り込みを掛けたところ、多くの現場で採用されました。

 

始めたのが1991年ですから、今年で32年目に入りましたが、未だに使ってもらっております。

当初工業団地のオーナーの日本商社の社長から呼び出され、「お前は人が困った時に来やがって、まるで葬儀屋みたいな奴だと」と言われたので、私の返事は、「葬儀屋が居なくなると困りますよ」と言ったことを思い出しました。

3.その後の新規海外事業展開へ

インドネシアでの新規事業展開で得た知見は、その後の別の国での事業展開に繋がったと思います。

新たな国は行ったときには、その国が困っていることを調べ、解決策を探すことにより、新しい事業に繋げるのです。

言葉を変えて、自分の部下たちには、新規事業展開のテーマとして一番大事なのは、「社会的貢献度」の高いものを選ぶことだと言ってきました。

その後は、シンガポール、フィリピンでも新規事業展開を成し遂げたと思っており、次回以降に続けたいと思います。

今回のブログは、一般の人にはあまり興味が無いテーマだったかもしれませんが、自分の人生の記録として書かせてもらいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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