No.29 ジャカルタ近郊 ショートトリップ第2談 続編
前回のプラブハン・ラトゥ観光の続きで、まずはお薦めの宿泊先から始めたいと思います。
③Legon Pari Beach Hotel(レゴン・パリ・ビーチ ホテル)
ここはホテルと呼ぶには貧弱で、平屋のコテージ・タイプで部屋はたいしたことありません。
ただ値段の安さとロケーションは最高で、すぐ目の前が静かで美しいビーチです。
また目の前の庭でバーベキューをすることも出来る。
ここの海は透明度が高く、シュノーケリングで遊ぶのには持って来いです。
地元の漁師は水中眼鏡を付けただけで、潜ってロブスターを獲っていました。
小型のロブスターでしたが、焼いてもらい食べたら最高でした。
ロブスターを取っていた漁師が売りに来たウミガメです。
食べると美味しいとのことでしたが、私は浦島太郎の心境で買取り、海に逃がしてあげました。
プラブハンラトゥにあるヒンドゥ教の寺院
Vihara Nam Hai Kwan Se Im Pu Sa
ナム ハイ クワン セイム プ サ 寺
このエリアは、海以外特段観光する場所は見当たりません。
地元の人に聞くと町の西側に、大きくて美しいヒンドゥ教のお寺があるとのことでしたので、行ってみることにしました。
このお寺は、ママ・アイリンと言うタイ人の女性によって建てられたそうです。この女性は夢の中で、海岸にお寺を建てなさいとの、お告げがあったそうです。
寺院を建てるための土地探しから、始まりました。
捜索はタイから始まり、インドネシアに入り、この土地の場所が、彼女が夢で見たものと非常に似ていたそうです。
そのためここに建てることを決め、2000 年 8 月 に完成したそうです。
彼ががすべて自費で建てたそうで、大変な金持ちだったと思われます。
お寺の門を入ると、尾が上に伸びた 7 つの頭を持つ龍の像が見られます。
この龍の彫刻は独特の金色をしており、タイの彫刻様式を持っているそうです。
さらに奥へ進むためには、500段にも及ぶ石段を上ることになります。
各階層には、女神やブッダ の像があります。
海の神の像が、最初の階層にありました。
大黒天のような像もあり、インドネシア・チャイニーズの人が商売繁盛のためにお祈りをしていました。
何の像だか分かりませんが、明るい神様の像がたくさん並べられています。
各像の前には、無料のお線香が置いてあり、勝手に取って火をつけ奉げられます。
意味は分かりませんが、虎の像もありました。
かなり大変でしたが、500段の階段を上がり頂上に着くと、特別な祭壇を見ることになります。
この祭壇は現地では一般的にはイブ・ラトゥと呼ばれている女性を祭っています。
インドネシアの伝説の中に登場する超自然的な存在で、 彼女はスンダとジャワの神話における南海 (インド洋) の女王です。
正式にはニャイ・ロロ・キドゥルと言うらしく、魚の下半身を持つ人魚として描かれること多いそうです。
神話の中では、人の魂を奪うことができると言われています。
海岸沿いの村々では、女王は漁師や浜辺で水浴びをする男性の命を奪うことが多く、通常はハンサムな若い男性を好むそうです。
この祭壇も、ニャイ・ロロ・キドゥルの特徴である緑色が基調になっています。地元の人曰く、海に行くときは絶対緑色の服を着てはいけない。
着ているとイブ・ラトゥにさらわれると、教えてくれました。本当に信じているようでした。
タイの王様の写真と一緒に飾られていた、イブ・ラトゥの絵もありました
インドネシア人は大半がイスラム教で一神教なのですが、神話の中のイブ・ラトゥの存在を信じていたりするのがとても不思議です。
それとか大きな古い木には、神が居ると言ったりします。まさにアミニズム(精霊信仰)の世界です。
これはイスラム教の教えからは逸脱することで、本来は許されないことです。
我々日本人も、仏教徒だろうがクリスチャンだろうと、大きな木には神が宿っていると考えたりする人も多いと思います。
私は、同じようなことを考えるインドネシア人を理解することができます。
最上階の祭壇の外に出ると、青い海が広がり、最高に美しい風景となります。
旧友との別れ
このブログを書いている時に、1991年にインドネシアに最初に赴任した当時からの部下で、最近は釣り仲間のルスミアデン(ルス)が急死した。
私の大事な記憶として残す意味で、あえてブログに書かせてもらいました。
その日は金曜日で、朝6時にルスの同僚から電話があり、ルスがICU(集中治療室)に入ったとの連絡であった。
二日前の水曜日には会社に来ており、体調が悪くなり早退したとのことであった。糖尿病の基礎疾患があることは、知っていた。
私は午前中に病院へ見舞いに行く準備をしていたら、10時に再び電話があり亡くなったとの連絡であった。
病院へ向かっている途中で、また連絡があり病院ではなく家に来てほしいとの電話であった。
午後1時にルスの自宅に着いたが、ルスの遺体はまだ家には戻っていなかった。
待つこと30分、ルスの遺体は救急車に乗って家に到着した。
自分の家に戻り、滞在した時間はわずか30分程度であった。
私もインドネシアでのイスラム教の葬式に立ち会ったのは初めてであった。
自宅に戻った時には、白い布で覆われており最後のお別れのための顔を見ることも出来なかった。
この後は遺体を自宅前の道路に安置され、イスラム教のハジと呼ばれるお坊さんが来て、みんなでお祈りをした。
その後再び、救急車に乗せられ埋葬する墓地へ出発した。家に安置された時間は、わずかに約1時間であった。
埋葬場所はここからは遠く、車で約三時間のルスの実家の近くの墓地だとのことであった。
私からするとあまりにもあわただしい葬式であった。そのため葬式に間に合わなかった人が大勢いた。
イスラム教の場合は、遺影の写真も仏壇もないため、遺体が無いとお祈りする場所もない。
また亡くなった人は、仏教と違い生まれ変わることはなく、天国に召されるとのことである。
今日はイスラム教徒にとって最重日の金曜日でしたので、周りのイスラム教の人曰く、ルスは一番良い日に亡くなったとのことである。
本当に悲しんでいる暇もなく、その日のうちに土葬は終わるのである。
享年53歳とあまりにも早すぎる別れであった。
私は心からルスの冥福をお祈りする。
私は、コロナが始まったここ3年で、インドネシア人の旧友3人を失った。
前の二人は中華系インドネシア人で仏教徒とクリスチャンであった。
死因はコロナで、葬式を行うことも出来ず、コロナ患者の共同墓地に埋葬された。
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