アクテイブシニアのリタイア後の楽しみ方(回顧録4) No. 37 社会人デビュー時の思い出

社会人デビュー時代

大学院の卒業を一年遅らせ、就職戦線の改善を期待しましたが、予想に反し第二次オイルショックのためか、役所も一般の会社も狭き門でした。

当時の一部上場会社は、学校推薦枠と称し国立大学等には何人採用するか、事前に学校に知らせが来ていたようです。

私の大学には推薦枠が来ていない会社に受けに行くため、電話案内で探した番号に連絡すると、明日が最終面接日だと言われ、あわてて行くことにしました。

行ってみると、面接官から開口一番に、お宅の大学に推薦枠を出していないと言われました。

そんなことはお構いなしに、自分を取らないと損すると言い続け、他人より3回も多く面接があり、何とか大手のセメント会社に就職しました。

入社すると技術系の学生はほとんどが国立大学の大学院卒の人ばかりで、私大卒の私は縁故で入ったんだろうと、同期の連中から言われていました。

新入社員当時の思い出

新入社員の自衛隊富士学校での体験入隊

当時の新入社員は研修期間中に、自衛隊への一週間の体験入隊がありました。

我々がお世話になったのは戦車隊で、隊員曰く「戦いでは最前線に出て一番危険な役割をになっており、訓練も一番きついんだ」とのことでした。

小隊の行進訓練

最初に行ったのは、8人ぐらいだったと思いますが小隊に分けられての行進の練習でした。

小隊長は順繰りに選ばれ、その人間の指示に従わなければなりません。

我々の小隊にとんでもない輩がおり、彼が小隊長を務めた時命令が適格ではなく、前に田んぼがあるのに止まれとも右向けとも言わないため、小隊はそのまま田んぼに突入してしまいました。

自衛隊のフィールドアスレチック

次の日はフィールドアスレチックを行うと言われて、私としては面白そうだとワクワクしていました。

でも、これがとんでもないシロモノで、色々な障害物は1,2キロ走って一つと言った塩梅で、たどり着いた時にはみんなへとへとです。

私はサッカーをやっていたので、それ程苦ではありませんでしたが、小隊は団体行動ですので脱落者が出るとフォローしなければなりません。

塀の乗り越えも自分は難なくクリアーしましたが、例の問題児がおり塀を登れません。

やむなく戻って、彼のお尻を押さなけれなりませんでした。

終いには彼は走れなくなり、みんなで騎馬戦の馬を作り彼を乗せて走りました。

彼はお礼の一つも言わず、夕食になると人一倍ご飯を頬張っていました。

自衛隊のお風呂

訓練後の入浴ですが、自衛隊のお風呂はトンデモナク深い湯船で、湯船に入る一歩目は普通に段があるのですが、次の一歩を踏み出すと頭までドボンでした。

浴槽の水は濁っており底が見えず、みんな湯船に座って入っていると思いきや、立って入浴していたのです。

たしかにいっぺんに多くの人を入れるのには、立たせていた方が良いですよね。

入浴後に例の問題児がまた事件を起こしました。

風呂場で自衛隊から支給された帽子を、例の彼は紛失してしまったのです。

自衛隊の担当指揮官から、お国の財産を失くしたと言われ、またまた連帯責任です。

小隊のメンバー全員中庭に呼び出され、説教と腕立て伏せを遣らされました。

この問題児は全く協調性が無い人間で、その後の同期の飲み会にも一回も参加しませんでした。

体験入隊の最終日には、乗り心地は今一でしたが、三菱重工製の戦車に乗せてもらいました。

 

社会人としてのスタート

配属は研究所で、最初の仕事は下水汚泥を固化する材料の開発でした。

下水汚泥とは、各家庭のトイレや台所などの汚水などが下水処理場に集められ、沈殿池に沈殿したものです。

主体はトイレの排せつ物ですので、凄い臭いを発します。

これらは有機分が多く、普通のセメントで固めることはかなり難しいものでした。

そのため、これらを固める特殊なセメント(固化材)の開発が業務です。

会社の帰りに地下鉄に乗車すると、隣の人が席を立ってしまい、最初は何でか分かりませんでした。

家へ帰ると家族からお前は臭いと言われました。

友人や彼女から何の研究をしているのかと聞かれると、糞とは言えず「KUSO4(ケイ・ユウ・エス・オウ・フォー)を固化する研究をしている」と答えると、ずいぶん難しい研究をしているのだねと言われました。

会社に入社して彼女からの最初のプレゼントは、爪の垢を洗うブラシだったことを思い出しました。

入社後にすぐにサッカー部に入部

我がチームは、何故だか分かりませんが、建設業界リーグ(ただし三部)に所属していました。

駒沢公園のサッカー場、今でこそ人工芝ですがかつては土のグラウンドでした

試合はほとんどが駒沢公園のサッカー場で、日曜日に試合がありました。

野球部には女子のマネージャーが一杯いるのに、サッカー部はマネジャーは少数で誰も来ない時もありました。

これではだめだと思い、私は同期入社の女の子を誘って、来てもらいました。

サッカーの試合が終わると、大半の人は駒沢公園からバスに乗り、恵比寿駅前にあったサッポロビール系列のライオンビアホールで打ち上げを行いました。

これで終わるのは勿体ないので、夜は六本木のスクエアービル(嘗てのデイスコビル)の地下にあった、ファーマーズマーケットと言うデスコに、皆を誘って行くようになりました。

社内でサッカー部は、アフターが面白いと評判になり、大勢の女性が試合観戦に来るようになりました。

そのおかげもあって、サッカー部のメンバーの数人が社内結婚にまでたどり着きました。

中締め

自分のことを書き出すと、過去の記憶が次から次へとよみがえり始めます。

まだまだ終りそうもないので、今回はこの辺で終わり、次回に引き続き書こうと思います。

 

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