今回のテーマ
今回はインドネシアの特殊事情に関しての紹介と私自身が考える宗教観についても述べたいと思っております。
アパートやホテルの部屋の選び方
インドネシアは世界最大のイスラム教の国であることは、前回書かせてもらいました。
町の至る所にイスラム教の礼拝所(モスク)があります。そこで問題なのが屋根に取り付けられている拡声器です。朝の4時から夕方の7時までに一日5回お祈りをするのですが、その時に大音量のコーランが拡声器から流されます。ホテルなどでも部屋の窓の方向にモスクがあると、朝の4時にたたき起こされますので部屋選びも慎重。
この写真は私のアパートの窓から取った風景ですが、ちょっと見ただけでもモスクが5か所あるのが分かります。私の部屋は18階にありますが、もう慣れたとは言え朝の4時には目が覚めてしまいます。
ここでちょっとイスラム教について触れてみたいと思います。
イスラム教の断食(インドネシア語でプアサと言います)
イスラム教徒にとっての最大イベントが、ラマダン(断食月)とレバラン(断食明けの大祭:イスラム正月)です。純粋太陰暦であるイスラム暦(ヒジュラ暦)は、一ヶ月が29日の月と30日の月を交互に繰り返していきます。従って1年間が354日となるので、1年ごとに11日ほど太陽暦とずれて行きます。今年は、断食の開始が2022年4月1日金曜日で終了が2022年4月30日土曜日だそうです。
断食の間は、日が昇っている間は食事どころか水も飲みません。唾さえ飲み込まず、ペッペと吐き出している人も多く見受けられます。
断食に入るのはおよそ朝の4時前後で、詳細な時間は毎日変わり宗教省から前日に伝えられます。
さて朝の断食前ですが、その前に食事を取らないと、断食明けの夕方7時前後まで水も飲めなければ食事も取れません。そのため朝の3時ごろにモスクの拡声器から、「サウール、サウール」と大音響が流れます。サウールとは断食前の食事のことで、皆早く起きて食事をしろと言うことです。
断食中の一ヵ月中は寝不足の人も多く、交通事故も頻繁に起こります。我々異教徒は、普通に食事を取るのですが、断食中の人の前では食べないようにしております。夕方まで閉まっているレストランも多く、結構食事に苦労します。断食には例外があり、幼少の子供、病気の人、生理の女性などは行わなくても良いとのことです。
断食を行う意味
断食によりさまざまな欲望(食欲、喉の渇き、怒り、噂、嘘、性欲など)を抑えることでイスラム教徒(ムスリム)は精神を鍛え、マナーを学ぶとのことです。またはムスリムは断食を通して飢えを体験し、飢餓にある人の苦しみを共有する。また欲望の抑制を覚え、日々の恵みに感謝し、富者は貧者に施す大切な時間とされています。
レバラン(断食明けの大祭:イスラム正月)
断食が空けた次の日から約一週間が、イスラム教徒が待ちに待った正月です。以前の日本のお盆のように、多くの人が里帰りをするわけです。そのため道路は大渋滞となるわけです。昨年はコロナ感染の防止のため、政府が統制し里帰りを禁止してしまいました。主要幹線には警察と軍隊が検問を設け、通行止めにしてしまいました。
インドネシア人の宗教観
インドネシアで生活しているとインドネシア人が宗教と伴に生きていることを痛感させられます。イスラム教徒以外のクリスチャン、ヒンドゥーや仏教徒も宗教に対しては信心深く、日常のお祈りを欠かせません。
以前のインドネシアでは、入国の際入国カードに宗教を記入する欄があり、多くの日本人は仏教と記入していました。その当時は共産主義者のインドネシアへ入国を警戒し書かせておりました。IDカードにも宗教を書く必要がありました。今は無くなっております。
私の宗教観
さてそこで日本人ですが、私を含め無宗教的な人がかなり居るように思います。このことは、インドネシア人には理解できないようで説明に苦慮します。私は親族の葬式の時に、我が家は日蓮宗だったんだと気づく程度で、普段は全く忘れてしまっております。
以前から私は、宗教は統計学で成り立っていると考えてきました。多くの教え(コーランや聖書等)は、過去にこういう問題が生じ、こうやって解決したと言うことから決まってきていると思います。
宗教が違っていても、同じような教えが数多く散見します。イスラム教徒は豚を食べてはならないとありますが、ユダヤ教でも同じでユダヤ人は豚を食べません。このことを調べると遠い昔の中東地区では、豚を食べて亡くなった人が多くいたとのことです。
日本でも最近イスラム教徒の人のために、豚肉やその油を料理にを使っていないことを証明する、ハラール認定レストランが見受けられるようになってきております。ハラールとは「許されている」と言う意味です。
ただ私が疑問に思う点は、以前は豚を食べると問題がありましたが、現在は良く焼けば問題無く食べられます。過去に於いて問題となった教えが、今になっても変わらず残っていることです。
イスラム教の一夫多妻性に関しても、以前はアラブ地区では戦争が頻発しており、そのため男性が多く亡くなりました。そのため結婚出来ない女性が多くいたそうです。そこで金銭的に余裕のある人は、5人まで妻を持って良いとのことで理解できます。現在はもうその様なことはもう無いのですが、一夫多妻の教えは現存しております。このような教えがまだ多々変わらずに残っていると思われます。
但しインドネシアでは、宗教に関する話題はタブーとされておりますので、インドネシアに来たときは、宗教の話題はしないように。
終わりに
私自身は未だに無宗教で通しております。ただ他の人が宗教を信心していることに関しては、まったく異論はありません。友人で信心深い人に言われて困ったことがあります。それは試験の時とか、宝くじを買った時とかに、思わず試験に合格しますようにとか、当りますようにとか、神様にお願いすることがあるわけです。その時友人から、神様ってどの神様ですかと追及されても、答えに苦慮するわけです。
私も歳を取ってきており、死に近づいて来ているわけで、死に対する恐怖感も高まってくるわけです。これから先は、私も宗教に信心し、死に対する不安を少しでも取り除く必要が生じるのかもと思う、今日この頃です。
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